勝手にさよなら

浮遊の記録

日記 vol.3

10月25日

夕方、マイメン室井雅也と会う約束があり新宿へ。ラーメン屋、喫茶店、居酒屋を経由し、最後はスーパー銭湯でフィニッシュ。サウナ室にて、汗だくの男たちが水曜日のダウンタウンを観ながら控えめにクスクス笑い合い、説が終わったタイミングで一斉に水風呂へ流れ込む、そのゆるい連帯感が良かった。これを音楽人はグルーヴと呼ぶ。セブンティーンアイスを食べながら駅まで歩き、終電で帰宅。

10月28日

朝から何も予定がなかったので新しいデモ音源でも作ろうかと思ったが、なかなか気分が乗らず、音楽を聴きながらダラダラ過ごす一日に。今年はクラブミュージックばかり聴いている。R&B的なものから段々興味が移っている感覚はあったのだが、今年に入ってからそれがより顕著になった。こういうジャンルの音楽にはあらかじめ哀しさや虚しさや切なさが内包されているような気がして、どれだけ音が奇抜でも、その奥にある根源的な部分にフォーカスすると沁みてくる。孤独であることから生まれる音楽というか。人は弱いから踊るんだ、哀しいから踊るんだ、という気持ちになる。

夜は流行りのスイカゲームをやってみたのだが、昔からパズルゲームが苦手でいつまで経ってもスイカまで到達できないので、腹が立ってアンインストールした。ムカつくと衝動的にデータを消していた幼少期の頃から何も変わっていない。ちなみにスプラトゥーンもコントローラーを投げつける直前までいって、そのままゲオに売りに行ったことがある。もっと穏やかに暮らしたい。

10月30日

松本大洋の東京ヒゴロの完結巻発売日。いつもじっくり読書に耽る時は近くのサンマルクに行くことが多いのだが、今回は読みながら泣く可能性があったので自宅でゆっくり味わいながら読んだ。案の定号泣。創作する人の苦しみがありありと描かれていて、というかもう凄まじい筆致で、凄みで何も手につかなくなってしまった。凄まじい筆致で凄みがうんぬん、なんて馬鹿みたいな表現だが、こういう圧倒的な作品は明確に言語化しようとすればするほどこぼれ落ちてしまう。そしてこういう圧倒的な作品が既にある世界で俺は一体何を作ればいいのやら、と途方に暮れたような気持ちにもなる。まあできることをコツコツやるのみですが。