勝手にさよなら

浮遊の記録

マリオカートと恋の寿命

何かにハマると、必ずどこかで「飽き」が来る。しかも、大抵それは突然やって来る。複雑なあれこれが絡み合って、急に興味が消え失せるのだ。「何かにハマる」という行為は、そんな寂しい別れを内包している。だとすれば、今マリオカートツアーにどハマりしている僕には、いつかそれをパタリとやめてしまう日が訪れるということである。なんて悲しい運命なんだろう。そんなことを考えてしまう。

「いつまで」って 「永遠に」って ほんとうなんだ でも君は笑って僕をみていた
ああもういいや なんだったっけ 話してたら朝になって
そんな風に 僕らはじゃれていたいだろ それなら
いつか迎える恋の寿命を 先へ先へ 引き延ばして
ヴァンパイアの恋人みたいにさ
君といたい それじゃだめ?

これはGalileo Galilei「恋の寿命」の大サビの歌詞だが、今の心情にこんなにぴったりな曲はない。いつか来る別れを悟りながら、それでも出来るだけ僕はマリオカートを遊んでいたい。それなら、いつか迎える「ハマり」の寿命を先へ先へと引き伸ばして、出来るだけ長い間マリオカートと一緒に時を過ごしたいのだ。もしこのゲームに「いつまでやるの?」と質問されたら「永遠に」と真剣に答えてみせよう。

それほど僕は今マリオカートツアーとの愛をスパークさせているわけだが、一方で課金だけは絶対にしないと決めている。課金はゲームバランスを壊す化け物だ。僕らの世代のゲーム好きは全員、プロアクションリプレイで色違いポケモンの100Lv.を量産してきたし、DS本体の時間設定を変えてどうぶつの森で大儲けしてきたし、バグネコを使ってモンスターを瞬殺してきた。そして、その度に「飽き」と向き合い、別れを余儀なくされたのだ。あの経験上、課金システムは「飽き」を促進させるに違いないと僕は当たりをつけている。

無課金で「ハマり」の寿命を引き延ばしながら、今日も僕はマリオカートツアーを淡々とやる。途中で途切れてしまわないように、コンボを繋ぎ続けるのだ。