勝手にさよなら

浮遊の記録

ポエム笑うやつ

・あらゆる芸術は詩的な趣(詩を読んだ時の感慨みたいなもの)を志向しているのに、人々がポエムを笑うのは何故だろう。ということをちょっと前から考えている。

・資本主義についての本をたまに読んだりするんですが、合理的に利益を追求する人たちが勝つルールの中で、果たして多様性なんて実現するのか。結局、経済資本よりも大切なものがあると心の底から思えてないと、このバトルロイヤルからは抜け出せないのだと思う。

・大衆に迎合するのも、逆張りするのも、ブルーオーシャンを開拓するのも、結局のところ全部ビジネスとしての戦略でしかないのなら、それはとても虚しい。

久々の投稿

9月。前回からだいぶ空いたみたいで、一年弱も長い文章を書けてなかったとは!と思ったんですが、3月に出たアルバムの初回特典ZINEにわりとしっかりめのエッセイを書いたのでした(よければチェックしてみてください)。でもそれくらいかー。本当はもっといつだって書いていたいのだけれど、気分屋なもんで、ふらふらしがちなところがある。

ここだけの話、最近はちょっと疲れ気味で何をやるにも気力が出ず、オフの日も特に何か活動的なことをするわけでもなく、たまにある楽しみごとや友人とのコミュニケーションでなんとか生き繋いでいる感じでした。今夏の思い出としてパッと思い浮かぶのは櫻坂46のリアルミート&グリートとNewJeans目当てで行ったサマーソニック。どちらも推し活というところが恥ずかしいのですが、櫻坂46に関してはもう6年以上追いかけていて、この20代は彼女たちの活動と共にあったと言っても過言ではないので、もう自分の生活の柱の一つになっている。後はたまに巡り合う最高の映画だったり、漫画だったり、小説だったり、音楽が、枯れ腐っていく心にその都度潤いを与えてくれていました。

昨日も『アステロイド・シティ』というウェス・アンダーソンの新作を観に行って、本当に胸がいっぱいになった。俺はそこまで彼の熱心なファンというわけでもないけれど、今作はすごくいいなと思うところがたくさんあって、まずは舞台が西欧ではなくアメリカというところが好きだった。俺はロンドンやパリへの憧れよりも、アメリカに抱く愛憎入り混じった愛着の方が強いところがあって、それがそのまま、ニュータウンへの愛着にも繋がっているのだと思う。マクドナルドもミスタードーナツもケンタッキーもスターバックストイザらスサーティワンアメリカのものだ。その風景の原点は、敗戦後の急進的なアメリカニゼーションによるものだと、もちろん理解はしているけど、やはり「アメリカ的なもの」に囲まれて生きてきたこの27年間を俺は大切に思っているし、大味であると見せかけて本当は複雑で繊細、という部分にシンパシーを感じているし、その詩情や色気を愛している。

あと今作は、“創作”というテーマについてメタ的に語っている映画でもあって、そこも一クリエイターとしてはグッとくるものがありました。何かを表現しようとする際にぶち当たる苦しみを、あくまでも隠喩的にですが、描いていたのかなーと。興味があれば観てみてください。

繰り返しになりますが、本当はもっといつだって書いていたいので、また定期的に更新できるように頑張ります。ではまた。

帰宅

事務所3バンドのスプリットツアーで5日間ほど各地をまわって、いろんな人と話をしたり、同じ時間を過ごすことで、それがありがたいことだと重々承知はしているものの、やはり疲れた。一人暮らしを始めて、コロナ禍があって、なんだかんだ生活しているうちに、自分の内向加減が増し増しになっていることに気づく。集団行動にうまく乗っかれなくなっていることに気づく。その他にもいろいろ、自分の嫌な部分に気づく。とにかく気づく。ので、余計に疲れて、一人じゃないとリフレッシュすることができない。一人になるまでは耐え忍びタイム。あと何日で帰れる。あと何時間で帰れる。とか考えてしまう。バンド向いてないのかな?とか、疲れている時に限ってそういう根本的な結論を急いだり、議論が飛躍したりする。人間にはそういう傾向があるってことを俺は知っている。ので、まあうまく対処する。やはり知識は偉大だ、とか思う。では何が原動力なのかと言うと、それは福岡のMCでも言ったんですが、やっぱり自分たちの音楽を好きでいてくれてライブを見たいと思ってくれる人たちがいるからこそ頑張れているところがあります。ので本当に感謝しています。

ところで。そうやって忙しい数日間があると自分の興味が全然違うところに向いていたりするので厄介だ。音楽、本、映画、ドラマ、アニメ、漫画、ゲーム、サウナ、バスケ等々、興味のあることは尽きないのだけれど、基本的には1,2週間も経たないうちにスポットを浴びる中身が変わる。目移りを繰り返しながら同じ範囲内をぐるぐる廻り、一つのものごとに深くコミットし続けられない。飽き性。この飽き性はどうやら父親譲りらしい。「それはパパの血やで」「そうなんや」「うん」「じゃあしゃあないか」。妹もまったく同じ傾向があるらしい。血は争えない、とつぶやく。

そんなこんなで一昨日の夜中に自宅に帰ってきて、まだオフモードが抜けていない。本当なら今すぐにでも新しい曲を進めたり、歌詞を書いたりしなければいけないのだけれど、ちょっと気合いが入らない。気合いが入らなければ、創作物は輝かない。ので、今日まではとことん休ませてくれい。明日から本気出す。

LINE POP 2

秋アニメは面白そうな作品が多い、という話は前回したと思うけど、いざ観始めるとやっぱ好き嫌い分かれてしまうね、当たり前やけど。チェンソーマンは原作のスピード感とかいい意味での荒さがなくなってるように感じて、残念ながら俺の好みではなかった。がしかし、うる星やつらが想像以上に面白くて、同じ回を何回も観るくらいハマってしまってるので結果オーライ。週一でこんな楽しいアニメがあるなら他はなんでもいいですわ、という勢い。

で、そのうる星やつらのLINEスタンプがLINE POP 2というゲームから限定配布されてるとのことで、普段スマホゲームなんか全くやらない私ですが、早速ダウンロードして数日プレイしてました。そもそもLINE POP 1を知らんのやけど、とか思いながら、まあチュートリアルくらいまでやればもらえるやろ、と軽い気持ちでやったのが運の尽き、実際は3日間ログインせなあかんわ、ステージ15までクリアせなあかんわで、結構時間取られるし、一回やり始めるとやめ時がわからなくなって、昨日なんか夜中の2時までやってしまっていた。ポップが弾け飛ぶ時の音が快感すぎるのよ。報酬系の神経回路が刺激されてドーパミンがドバドバ出てるのを自分でも実感して、これは危ない、中毒になる、と思った。そりゃみんな電車でゲームやってんのも無理ないわ。スタンプ獲得後、俺はすぐアンインストールしたんやけど、今でもあのポップの弾け飛ぶ音が頭の隅で鳴ってるような気がして、はやく逃れたい。

 

雑文 2022・秋

日常的に自炊して質素な食事で暮らしているとたまに暴食したくなって、一週間に一度くらい我慢せずに食べまくるチートデイを設けるんやけど、この頃それをやると胃がもたれるようになってきた。お酒も学生の頃はいくら飲んでも二日酔いにならんかったのに、最近は4杯以上飲むと後悔するようになってきた。あと、気温や天気によってかなり自分の体調に影響が出るようになってきた。年を感じる。体鍛えたりしたら変わるんやろうか。

最近、前からずっと気になってたKindle Paperwhiteを買った。本大好き芸人とミニマリストという二つのアイデンティティの狭間で約一年くらい悩み続けた末に決めた本の電子化。結果、かなり便利です。買って正解やったと思う。めっちゃ愛着のある本とか、そもそも電子では売ってない本は紙のまま残してるんやけど、それ以外は今後できるだけKindleで読もうかなと思っとります、ええ、ええ。遂に俺っちも電子書籍派か〜、と意気揚々に電車の中でKindleを取り出して読書する楽しさよ。どうか飽きませんように。

この秋はアニメがおもろそうなん多いね。水星の魔女とチェンソーマンとうる星やつらは観るような気がする。あと後追いでリコリスリコイルも観始めた。どうしてもアニメよりは実写の方が好みやねんけど、気軽に観れるからいいね、アニメも。

マクドのおばさん

ちょっと空いた。久々の投稿です。

特別忙しかったとかではないけれど、最近何をしててもこれに何の意味があるんやろうとか考えてしまい、結局何もやらずに暇を持て余して寝る、という日が続いてて、文章を書くモチベーションもなくなっていたところ、父から「一生不悟」という相田みつをの名言を紹介され、こういう時の親の助言というのは基本子にとっては余計なお世話って思うことが多いんやけれど、この時ばかりは何故かまっすぐ受け止めることができて、少し気持ちを切り替えるきっかけになったりした。

“なんの意味があるんやろう”繋がりでいうと、最寄りの駅前のマクドナルドにいる短髪白髪のおばさんのことを書きたい。そのタンシラおばさんは夕方になると店に現れ、店内を徘徊しながら、ゴミを拾ったり椅子の位置を整えたりして、他の客に訝しそうな目で見られている、まあ簡単に言えばありがた迷惑なおばさんなんやけど、彼女は何を思って、どんな人生の積み重ねがあって、そんな行動を毎日毎日続けているのか、俺は気になって仕方がない。店員からしたら助かるのかな?とも考えたけれど、店内にそんな奇妙な動きをしている客がひとり居座っているデメリットの方が圧倒的に大きいはずで、俺はそのタンシラおばさんのルーティンを眺めながら、いつもチキンクリスプを食べ、アイスコーヒーを飲み、善行とは何か?と考えたりしている。話しかけてみたいけれど、急にキレられたりしたら怖いし、かといってまっすぐな眼差しでボランティア精神を語られたりしたら、それはそれで悲しくなりそうで、どう転んでも自分がダメージを受ける未来しか見えない。

今日もまた彼女の一連の動きを眺めながら、マクドで一休みし、家に帰ってきた。一週間前くらいから、隣の空き部屋のドアの前に黒いパンツが落ちていて、まだあるやん、誰か回収せえよ、って思いながら自分の部屋に戻った。

26

26歳になった。だからなんやねんって毎年のように思ってはみるものの、やっぱり身近な人は連絡をくれるし、自分に何かご褒美をあげたくなる特別な日だ。しかし大々的にワレ本日誕生日ナリ感を出しすぎると「26歳の抱負は?」とか聞かれて面倒やし、こうやって誰が読んでるかもわからない場所で密やかに宣言するあたり、我ながら陰湿、逆に誇らしくなってきたりもする。相変わらず調子のいい時は気が大きくなり威勢も良くなり、しんどい時はサボったり諦めたり、学生の頃から全然成長してない気がするんやけど、周りの大人たちもみんな良くも悪くもそんな感じでがむしゃらに生きてるように見えるので、案外そういうもんなのかもしれない。まあ引き続きぼちぼち頑張ろう。25歳最後の日はかなり良い曲が作れたので大満足でした。今日はカレーでも食べようかと思っとります。