勝手にさよなら

浮遊の記録

CALM DOWN、BE YOURSELF。

初めてカニエ・ウェストを聴いたのは高校の時だった。雑誌かなんかで名前を知り、iTunesで試聴して、その後、通学路の途中にあるTSUTAYAで『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』を借りた。初めてOasisNirvanaを聴いた時と同じような衝撃、胸の高鳴り、そして何よりもアルバムとしての完成度の高さに感動したのを覚えている。あの頃は好きなアルバムを繰り返し聴くことが、自分なりの音楽へ情熱の注ぎ方だった。繰り返し聴くことで、新たな驚きや発見が生まれ、自分の世界観や感受性が広がっていく。音楽と一人向き合うことが、自分を自分たらしめる営みの一つだった。

あれから数年経ち、2018年にカニエ・ウェストは7曲以上30分未満のアルバムを5週連続でリリースした。ストリーミングサービスが主流になって以降、アルバム単体としての完成度を犠牲にしてでも収録曲数を増やすアーティストが多かった中、カニエのこのやり方はストリーミング時代の攻略法の一つの最適解だった。また、7曲以上30分未満というこのバランスは、作品のクオリティを保つだけでなく、リピートするのにもちょうどいい長さだった。繰り返し聴くという喜びを強く実感できる形式だった。その次の年、僕は9曲で26分の『インドア』というアルバムを作った。

2019年6月、Netflixでインタビュー番組『デヴィッド・レターマン 今日のゲストは大スター』のシーズン2が配信された。その第一回目のゲストがカニエ・ウェストだった。インタビューでは双極性障害メンタルヘルス、#MeToo運動、トランプ政権など、シリアスな話題が多く議論され、終始ヒリヒリした緊張感が漂っていた。彼はその中で自由な思考について語った。

法廷では両者が意見を述べられるのに、今は一方的な攻撃があればそこで争いは終わる。(中略)世間とはズレた発言をしてしまうかもと恐れることもある。でも全員がそろって同じ考えを持つ必要はない。意見は違っていいんだ。

 また、番組の終盤ではカニエが主催する「Sunday Service」の模様が映された。そこではジェームズ・タレルの作品を参考にした照明について語られた。

U2の前座をやったりDaft Punkのライブを見に行って思った。彼らはストロボや派手な演出をする。観客のテンションは上がるだろう。一方でタレル流の照明は禅の世界に人々を引き込む。生活をしていると、興奮したり恐怖を感じたりするだろ。そういうことに打ちのめされないように手を貸してくれるんだ。静寂や安定、今この瞬間を大事にするのがテーマだ。

 控えめな照明の中、「俺はやりたいようにやる」と切実に歌う彼の姿はどこまでも純粋で、素直に感動する。Netflixに入ってる人は是非観てほしい。

2019年8月、YAJICO GIRLは事務所の主催イベントに出演した。この日は照明をBAGS GROOVEの平山さんにお願いし、主に『インドア』の収録曲でセットリストを組み、事前に音源をお渡しした。本番、平山さんは全編通して青みがかった落ち着いたライブ空間を演出してくれた。ライブの最中、本当に心地が良かったのを覚えている。さすがチームサカナクションだなぁと感心して、その時はまるで気づかなかったのだが、よくよく考えてみると、この照明デザインはカニエの「Sunday Service」と同じ趣があった。カニエに感化されて作った『インドア』を聴いた平山さんの照明が、奇しくも「Sunday Service」の照明と似通っていたのだ。嬉しかった。作品のフィーリングが正しく伝わっている証だと思った。

SNSが盛んになって以降、全てがバズみたいなものと結び付けられることで、物事がより派手な方へ、より刺激的な方へ向かうことが多くなったような気がする。もちろん素晴らしい映画や音楽は作られ続けているし、SNSのおかげで進展している物事もきっとたくさんある。それでも、気を抜くといつの間にかパッと目立つ方へと意識が傾いてしまうし、知らない間に情報過多な世界に飲み込まれているケースは多いはずで、なんとなくイメージがいいもの/わかりやすいものを手にとってしまったり、次々に新しいものへと目移りしたりする。それでいいじゃないかという意見もあるにはあるのだが、それで終わらせるのもなんだか寂しい。消費しているようで消費されているような、こんな時代だからこそ、「動」ではなく「静」に、「光」ではなく「影」に目を向け、心を落ち着かせる時間があってもいいと思う。CALM DOWN、BE YOURSELF。それだけを祈りたい。